和駒とは何か|消えゆく日本在来馬・八種とその歴史

青くさを頬張る和種馬たち
Japanese Native Horses — Heritage & Crisis

和駒とは何か

消えゆく、日本の馬

「和駒(わごま)」── 倭式騎馬會が、日本在来馬を呼ぶ言葉。
大陸の馬とは異なる、この国だけの馬。その来歴と、いまの危機をたどります。

競馬で走るサラブレッド、馬車を曳く大きな馬。私たちが思い浮かべる馬の多くは、もとは海の向こうからやってきた馬たちです。けれど日本には、古墳時代から人とともに生きてきた、この国固有の馬がいます。それが「日本在来馬」── 倭式騎馬會が「和駒わごま」と呼ぶ馬たちです。かつて百万頭を超えて各地にいた在来馬は、いま、八種あわせてわずか千五百頭ほど。なぜ日本の馬は、ここまで姿を消したのか。和駒とはどんな馬なのかを、はじめからたどります。

What Is Wagoma

そもそも「和駒」とは ── 日本在来馬という馬たち

倭式騎馬會の和駒(日本在来馬)
倭式騎馬會の和駒。

一般に「日本在来馬」と呼ばれる馬がいます。在来馬、和種馬とも言い、洋種馬などの外来種とほとんど交わらずに、この国で受け継がれてきた固有の馬の総称です。公益社団法人 日本馬事協会が、現存するものを八種として認定しています。

倭式騎馬會では、この馬たちを「和駒」と呼んでいます。木曽義仲の愛馬として知られる木曽馬、源義経が東北の藤原氏に預けられた頃に乗りこなしたと伝わる南部馬──その血を引く道産馬(北海道和種)など、日本古来の和種馬。それらをまとめて、會では親しみを込めて和駒と呼び、ともに稽古を重ね、流鏑馬奉納の場へと連れ出しています。

「和駒」という呼び名には、ささやかな由来があります。会長・森顯が、母である世界的なファッションデザイナー・森英恵と言葉を交わすなかで生まれた言葉だといいます。「日本在来馬」という呼び方は、どこか角ばっていて硬い。もっとこの馬たちにふさわしい、やわらかで可愛らしい呼び名はないだろうか──そんな語らいのなかから、「和駒」の二文字が選ばれました。学術や行政が付けた名ではなく、馬への眼差しから生まれた呼び名。會がこの言葉を使い続けるのは、その温度を手放したくないからです。

馬が日本に渡ってきたのは、四世紀の末ごろ。大陸から朝鮮半島を経て、九州へと伝わったとされます。古墳時代の遺跡からは馬具や馬の埴輪が数多く見つかっており、当時すでに馬が人の暮らしに深く関わっていたことがわかります。在来馬は、こうして渡来した蒙古系の小型馬を祖先に持つと考えられています。

A Working Horse
分類はポニー、けれど働く馬。

在来馬は体高が低く、馬学上の区分では「ポニー」に入ります。けれども見た目の愛らしさとは裏腹に、田畑を耕し、人や荷を運び、戦に出て、神事に参じてきた働き者です。小柄でも大人がまたがって乗ることができ、長らく日本人の暮らしを足もとから支えてきました。

The Decline

なぜ消えたのか ── 百万頭から、千五百頭へ

明治の初め、一八七八年(明治十一年)ごろの日本には、百万頭を超える馬がいたといわれます。そのほとんどが、各地で代々育てられてきた在来馬でした。江戸時代には二十を超える馬の名産地があり、地域ごとに個性ある馬が暮らしていたのです。それが、わずか百数十年で千五百頭ほどにまで減りました。何が起きたのでしょうか。

大きな転機は、明治期の馬匹改良(ばひつかいりょう)でした。日清・日露戦争を経て、国は軍馬の増強を国策に掲げます。小柄な在来馬では近代の戦に向かないとされ、馬格の大きい洋種馬との交配による大型化が、各地で一斉に進められました。

一九〇一年(明治三十四年)の馬匹去勢法、一九〇六年(明治三十九年)の馬政局設置、一九三九年(昭和十四年)の種馬統制法──こうした制度のもとで改良は徹底され、多くの地方では、短い期間のうちに純粋な在来馬が姿を消していきました。そのなかで、離島や岬の先端など、交通の不便な土地にだけ、外来種の血のほとんど入らない馬群が細々と残されたのです。いま「現存八種」と呼ばれるのは、その生き残りにほかなりません。

戦後、もう一段の波が押し寄せます。一九六〇年代以降の自動車の普及と農業の機械化です。荷を運び、田を耕すという在来馬の役目そのものが失われ、飼う理由がなくなっていきました。改良で減り、機械化で居場所を失う。日本の馬は、こうして二度、消えかけたのです。

The Eight Breeds

残された八種 ── 各地に生きる、日本の馬

日本馬事協会が在来馬として認定しているのは、次の八種です。北は北海道から、南は与那国島まで。それぞれが暮らした土地の風土とともに、独自の体つきと気質を伝えてきました。頭数は各保存会の近年の報告にもとづくおおよその値です。

教場で暮らす和駒たち
教場で暮らす、和駒たち。八種のうち北海道和種と木曽馬が、ここにいる。
北海道
北海道和種
道産子(どさんこ)/約千頭・八種で最多/北海道遺産「北海道の馬文化」

軍馬として名高い南部馬の系統を引くといわれ、寒さと粗食に強く、丈夫で粘り強い。八種のうち最も数が多く、在来馬の過半を占める。倭式騎馬會の和駒、磨墨と三日月もこの馬種。

長野県・木曽
木曽馬
約百三十頭/長野県の天然記念物

本州に唯一残った在来馬。温順で粘り強く、農耕にも祭礼にも用いられた。純血種は一度途絶えたが、戻し交配によって再興された。木曽義仲の愛馬として知られ、會の和駒・桃介もこの馬種。

宮崎県・都井岬
御崎馬
約百頭/国の天然記念物

八種のうち唯一、国の天然記念物に指定される。都井岬で半野生のまま暮らし、一頭の牡馬と数頭の牝馬からなる群れ(ハーレム)の社会を保ちながら世代を継いでいる。

長崎県・対馬
対州馬
数十頭規模/きわめて少数

急峻な対馬の地形で、荷の運搬を担ってきた小柄な馬。蹄が固く、重い荷を負って山道を歩いた。元寇のさい武者を乗せて働いたとも伝わる。現存数はごくわずか。

鹿児島県・トカラ列島
トカラ馬
数十頭規模/鹿児島県の天然記念物

体高百二十センチ前後と小柄で、暑さに強い。隔絶された島で長く外と交わらなかったため、古い在来馬の特徴を色濃く残す。学術的に確認されたのは一九五〇年代と比較的新しい。

沖縄県・宮古島
宮古馬
数十頭規模/沖縄県の天然記念物

亜熱帯の島で生きてきた島馬。戦後の一時期には絶滅寸前まで数を減らしたが、関係者の手で細い血脈がつながれてきた。温暖な気候に適応した、ねばり強い馬。

沖縄県・与那国島
与那国馬
数十頭規模/与那国町の天然記念物

日本最西端の島で受け継がれてきた在来馬。小柄で人懐こい性質で知られる。近年は、海に入って馬と遊ぶ取り組みなど、島ならではの新しい役目も担っている。

愛媛県・今治
野間馬
約五十頭/愛媛県の天然記念物/八種で最小

体高百十センチ前後と、八種のなかで最も小さい。江戸期、武士が乗らない小柄な馬として農家に払い下げられ、その馬同士から生まれたと伝わる。みかん山での作業などを支えた、温和な馬。

A Fragile Protection
国の天然記念物は、ただ一種。

八種のうち、国の天然記念物に指定されているのは御崎馬のみ。木曽馬は長野県、トカラ馬は鹿児島県、宮古馬は沖縄県、与那国馬は与那国町、野間馬は愛媛県──指定はそれぞれの土地に委ねられ、対州馬のように公的な指定を持たない馬もいます。守りの単位はばらばらで、後ろ盾は決して厚くありません。一つの保存会が絶えれば、その馬種が静かに消える。八種は、そうした細い糸の上に立っています。

Body & Temperament

和駒の体と心 ── 蹄鉄のいらない馬

和駒の体つき(全身・側面)
短く強い脚に、がっしりとした胴。和駒の体つき。

和駒の体つきには、共通する特徴があります。体高はおおむね百二十〜百三十センチほど、最小の野間馬で百十センチ前後。胴は長く、脚は短く、全体にがっしりと低い。華やかさよりも、丈夫さと粘り強さに振れた体です。

とりわけ知られるのが、蹄(ひづめ)の固さです。在来馬は蹄が硬く丈夫なため、蹄鉄を打たずに山道や農地を歩くことができました。粗末な餌にもよく耐え、寒さにも強い。手をかけずとも生き抜く力が、各地の厳しい風土のなかで磨かれてきたのです。木曽馬の背に走る黒い筋(鰻線)や、耳の先の黒みなど、馬種ごとの古い印もよく残っています。

蹄鉄を打たない和駒の固い蹄
蹄鉄を打たない、固く強い蹄。

そして気質は、総じて温和で、人によく従い、賢い。長く人のそばで働き、暮らしを共にしてきた馬だからこその性格です。だからこそ近年は、ホーストレッキングや、子どもの情操教育、心身の回復を支えるホースセラピーなど、新しい場面でも力を発揮しています。

Iron-free Hooves
蹄鉄を打たない、強い足。

蹄鉄は、人が馬の足を守るために打つもの。在来馬はそれを必要としないほど、もともとの足が強い。これは、舗装も鉄もない時代に、この国の地面の上で生き抜いてきた証でもあります。和駒の体そのものが、日本の風土が育てた一つの記録なのです。

The Lost Lineages

失われた、もう一つの系譜

現存する八種のかげには、すでに絶えてしまった在来馬がいます。南部馬、三河馬、三春駒、土佐馬──いずれも、各地の名を冠した、中型・大型の馬たちでした。その多くは、良馬として軍馬に用いられたがゆえに、明治の改良の波を真っ先にかぶり、純血の血を絶ちました。

なかでも南部馬は、古くから良質な大型馬を生み出した名馬の産地として知られ、明治期に絶えました。明治天皇の御料馬であった金華山号は体高百四十八センチに及んだと伝わり、その堂々たる体躯に、失われた南部馬の面影をしのぶことができます。

生き残った木曽馬でさえ、純血種は一度途絶え、わずかに遺された個体からの戻し交配によって、ようやく今の血脈をつないでいます。馬種が「消える」とは、一頭が死ぬこととは違います。その土地が何百年もかけて育てた血そのものが、二度と戻らないということ。失われた名は、それを静かに告げています。

Once Gone
血は、二度と戻らない。

数を減らした馬は、数を増やせばよいというものではありません。一つの血脈が完全に絶えれば、どれほど願っても再び生み出すことはできない。だからこそ、いま残る八種を「まだ間に合ううちに」つなぐことに、意味があります。

A Role to Carry

役目があるところに、馬は残る

在来馬を残すうえで最も難しいのは、頭数を増やすこと以上に、彼らに「役目」を与え続けることだといわれます。運ぶ仕事も、耕す仕事も機械に取って代わられたいま、馬がそこに居る理由を、人がもう一度つくり直さなければならないからです。

各地の保存会や日本馬事協会、競馬を担うJRAなども、ホーストレッキングやセラピー、観光、そして流鏑馬といった新しい用途を通じて、在来馬に居場所を与えようとしています。役目があれば、人は馬を飼い、馬は生き、血はつながる。文化を残すことが、馬を残すことになるのです。

保育園の卒園遠足の乗馬会で里山を行く和駒
保育園の卒園遠足、乗馬会にて。子どもたちと里山を行くのも、和駒の新しい役目。

倭式騎馬會が和駒とともに流鏑馬奉納を続けているのも、その一つの形です。昔の武心を持つ日本の馬を見いだし、稽古を重ね、神前で矢を放つ。和駒に古来の役目をふたたび与えることで、絶滅が危ぶまれるこの国の馬を、未来へつなごうとしています。

装束をまとい神事へ向かう和駒の列
装束をまとい、和駒とともに神事へ。

昔の武心を持った日本之馬を見つけ出して軍馬としての調教を施し、その和駒に乗り流鏑馬や馬上武芸を行うことによって、この活動を広めて絶滅種でもある日本古来の馬の復興を目指しています。

— 倭式騎馬會(公式サイトより)

REFERENCES

公益社団法人 日本馬事協会/公益財団法人 馬事文化財団
各日本在来馬保存会 報告(近年)/『日本書紀』
※頭数は報告年により変動します。最新値は各保存会・日本馬事協会の公表値をご確認ください。

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