鹿嶋流うまゆみ
武神の地に千年を超えて受け継がれる
騎射の流儀
西暦九四〇年、藤原秀郷が鹿島神宮に祈願した戦勝騎射奉納に始まる「鹿嶋流うまゆみ」。
「流鏑馬(やぶさめ)」が生まれる二百五十年前から続く、東国最古の騎射の流儀。
鹿島神宮——武道の神・武甕槌大神を祀る東国最古の神宮に、毎年五月一日、馬上から矢を放つ「鹿嶋流うまゆみ奉納神事」が執り行われます。この神事は、いわゆる「流鏑馬(やぶさめ)」とは起源も射法も異なる、より古い日本の騎射の伝統です。鎌倉武者が「やぶさめ」という言葉を使う二百五十年以上前から、武神の地・鹿島に息づいてきた「うまゆみ」の流儀とは何か。その歴史と特徴を紐解きます。
鹿嶋流うまゆみは、西暦940年に藤原秀郷が鹿島神宮で執り行った戦勝騎射奉納を起源とする、東国最古の騎射の流儀です。本記事では、鹿島神宮との深い関わり、武家式流鏑馬との違い、鹿島家三十五代による継承、そして倭式騎馬會が毎年五月一日に奉納する神事の詳細を解説します。
鹿嶋流うまゆみの起源 ―― 西暦九四〇年
平安時代中期の西暦九四〇年(天慶三年)。東国独立を目指した平将門が京都の朝廷に反旗をひるがえし、東国を席巻していました。朝廷から討伐の勅宣を受けた藤原秀郷公は、居城・唐澤山(現・栃木県佐野市)を発ち、武道の神・武甕槌大神を祀る鹿島神宮へと向かいます。
秀郷公は鹿島神宮に三十日間参籠し、武甕槌大神に将門討亡を祈願。見事将門を討ち果たした後、その戦勝への感謝として騎射奉納行事を執り行いました。鹿島の歴史書『鹿嶋志』は、この奉納行事を「鹿嶋流うまゆみ」のはじまりとして伝えています。
「流鏑馬(やふさめ)」という言葉が文献に初登場するのは一〇九六年(永長元年)、白河上皇が城南離宮で催した騎射の様子を記した『中右記』が最初です。鹿嶋流うまゆみはそれよりも百五十年以上前、九四〇年に始まっています。「うまゆみ」という呼称自体の文献初出はさらに古く、西暦四五六年の『日本書紀』に遡ります。うまゆみと流鏑馬(やふさめ)の歴史的な違いについては「騁射」から「流鏑馬」へ — 千年を超える騎射の歴史をご覧ください。
秀郷の死後も、鹿島家が惣大行事家としてこの神事を継承。源頼朝が一一八一年(養和元年)に鹿島神宮へ神馬と鞍を奉納し、同年五月五日に鹿島家家臣を射手として流鏑馬祭を催したことが、現在の鹿島神宮流鏑馬神事の直接の起源となっています。
鹿嶋流うまゆみの特徴 ―― 武家式流鏑馬との違い
鎌倉幕府成立以降に武家が整備・固定化した「武家式流鏑馬(やぶさめ)」と、鹿嶋流うまゆみには明確な違いがあります。鹿嶋流は、より古い時代の自由な騎射の形を今に伝えています。
自由な射法
横射ち、弓を回してから射つなど、多彩な技が許された古式の騎射。武家式のように形式が固定化されておらず、射手の技量と馬の動きに委ねられた自由な表現があります。
馬出しの醍醐味
鹿嶋流うまゆみの真髄は「馬出し」にあります。いきり立つ馬を抑えながら馬場本から跳び出す瞬間——人馬一体の緊張感と迫力が、この流儀の醍醐味です。
押捩りの射法
三ノ的に向かう際、体重を後方に移動して馬を徐々に止めながら、少し後ろ向きに的を射る「押捩りの射法」。走り去る馬上から振り返って射つ、鹿嶋流独自の技法です。
和駒へのこだわり
現在わずか千五百頭ほどしか残っていない日本在来馬(和駒)を使用。大陸系の馬ではなく、日本固有の風土が育んだ馬とともに騎射を行うことが、鹿嶋流の本旨です。
静寂な闇の中から生まれる流鏑馬の原点 ―― 騎射、あくまでも日本の馬、和駒にこだわる。その所以は、日本の山河・天地・歴史的な環境空間に配置された和駒の文化的空間を本分とするがためである。
— 倭式騎馬會 会長 森 顯鹿島神宮 ―― 武の中心としての歴史
初代神武天皇の頃に創建されたとされる鹿島神宮は、東国最古の宮です。武道の神・武甕槌大神を祀るこの社には、古来より東国の武人たちが参集し、武術の研鑽を積んできました。
源氏の棟梁・八幡太郎義家は鹿島神宮に出入りして武威を磨き、貞純親王以来の迎来流(こうらいりゅう)に更なる改良を加えて「鹿嶋流」を確立。鹿島神宮は文字通り「武の中心」として、日本の騎馬武術の源流となりました。後世に生まれた小笠原流・武田流・大坪流など多くの流派も、その源流を鹿嶋流に求めています。
また鹿島家は三十五代にわたって惣大行事家を務め、この騎射神事を守り続けてきました。天正十九年(一五九一年)に佐竹義宣によって鹿島家が滅ぼされた後も、徳川家康が家臣たちの嘆願を受けて家再興を支援。以来、鹿島家は惣大行事として神事を継承し続けてきました。近年は倭式騎馬會の協力を得て、毎年五月一日に「鹿嶋流うまゆみ奉納神事」として奉納が続けられています。
毎年五月一日 ―― 鹿嶋流うまゆみ奉納神事
令和の現在も、鹿島神宮奥参道において毎年五月一日に奉納神事が執り行われています。鹿島家三十五代当主・鹿島泰明惣大行事家のもと、五穀豊穣と武運長久を祈りながら、射手たちが和駒を駆り矢を放ちます。
当日の流れは、午前十時の御田植祭から始まり、午後一時三十分の騎射奉納奉告祭、そして午後二時からの鹿嶋流うまゆみ奉納神事へと続きます。今年(令和八年)は第二十一回目の奉納となりました。
馬出しから三的を駆け抜けるまで、わずか二十秒ほどの出来事です。いきり立つ馬を制御しながら、一ノ的・二ノ的・三ノ的と連続して射抜く。この洗練された日本之形に、千年の伝統が凝縮されています。奥参道では例年、多くの参拝者が見学に訪れています。神事の見学についてはページ下部よりご確認ください。
鹿嶋流うまゆみ 主要年表
倭式騎馬會 ―― 古式騎射の復元と継承
倭式騎馬會は、弓馬術・騎馬太刀術も乗馬術の一部であるという視点から、武神の元で鎌倉武者が創造した形を、絶滅危惧種の和駒(日本在来馬)とともに復興しようとしています。
「流鏑馬(やぶさめ)」という言葉が生まれる二百五十年以上前から鹿島の地で育まれてきた「うまゆみ」の本来の姿を探求・復元することが会の本旨です。現在千五百頭ほどしか残っていない和駒に乗り、古式の射法で馬場を駆け抜ける姿こそが、千年以上変わらぬ「うまゆみ」の醍醐味です。
弓馬術・騎馬太刀術も乗馬術の一部であるという視点で、和式馬術を武神の元で鎌倉武者が創造した形を絶滅種の和駒と共に武道の源、古式流鏑馬復元のため秀郷流や鹿嶋流を探求する。
— 倭式騎馬會「うまゆみ」と「流鏑馬(やふさめ)」の呼び名の違い・起源・公家と武家それぞれの騎射の歴史については、下記の記事で詳しく解説しています。
REFERENCES
『日本書紀』/『続日本紀』/『中右記』/『吾妻鏡』
『鹿嶋志』/『大坪本流雲霞集乾』(江戸時代・文化年号)
『常陸風土記』/鹿嶋流騁射奉納執事日記(令和八年度)
本記事は、倭式騎馬會が鹿嶋流うまゆみ奉納神事への参加・継承活動を通じて得た知見と、各種文献をもとに構成しています。
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