鹿島神宮
鹿嶋流うまゆみ奉納神事
千年以上の歴史を持つ騎射神事、今年も斎行
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千年を超える騎射の歴史
西暦九四〇年、平将門が東国独立を目指して京都の朝廷に反旗をひるがえした際、平貞盛公から討伐の勅宣が下りました。藤原秀郷公は居城・唐澤山(現栃木県佐野市)を発ち、鹿島神宮に三十日間参籠して神に祈願、見事討亡を果たしました。その戦勝を感謝する騎射奉納行事が、鹿島の歴史書『鹿嶋志』に伝わる「鹿嶋流うまゆみ」のはじまりとされています。
「うまゆみ」という言葉は、白河上皇が初めて『中右記』に「やふさめ」という表現を用いるより二百五十年も前に行われていた、由緒ある神事の呼び名です。武家主催の流鏑馬が広まる以前から、鹿島神宮の騎射は「うまゆみ」の名で連綿と受け継がれてきました。
桓武平氏の流れをくむ鹿島家が惣大行事家を務め、三十五代にわたって鹿島神宮の流鏑馬を守り続けてきました。諸般の事情により神事のみの継承となっていた時期を経て、現在は鹿島家及び旧家臣たちの神事奉納と、倭式騎馬會の協力によって、五穀豊穣と武運長久を祈る奉納演武が続けられています。
本年は鹿島神宮にとって十二年に一度の式年大祭・御船祭が斎行される特別な年にあたります。武甕槌大神を奉安した御神輿が大船津へ進み、常陸利根川・鰐川を渡御する荘厳な祭儀は、古来より受け継がれた大神様のご神威を今に伝えるものです。また四月には香取神宮にて式年神幸祭が御斎行され、鹿島神宮の奉仕による御迎祭も厳粛に執り行われました。
鹿嶋流うまゆみの醍醐味
うまゆみの醍醐味は「馬出し」にあります。いきり立つ馬とそれを抑えようとする射手が馬場本(幅約1.8メートルの走路)に跳び出そうとする瞬間こそが、この神事の核心です。
弓矢をつがえた左腕を高く翳し、前屈みの姿勢で馬に最速の駆足を促しながら一ノ的を射つ。二ノ的前では、日記所に着座されている惣大行事家のもとで最高の「人馬之形」を披露します。重心を一点に集中させると馬姿は美しく整い、最高の二ノ的射が生まれます。三ノ的では後方に体重を移動させ、少し後ろ向きに射つ「押捩りの射法」を用います。
一番から五番まで、それぞれに馬と射手が息を合わせ、約二十秒の出来事のなかに千年の武の美を凝縮します。今年で二十一回目の奉納となる本神事、どうぞ奥参道でその迫力をお確かめください。
鹿島の大神様、本年も流鏑馬神事が斎行されることとなりもお喜びになられているものと拝察申し上げます。
古きより武道の神として崇敬を集めております鹿島の大神様のご神威のもと、伝統を次世代に伝え・日本人としての誇りを守り続けていられる倭式騎馬会の皆様には、是非とも日頃の修練の成果を発揮し美しく力強い人馬一体の妙技をご披露頂きたく願っております。
さて、本年は十二年に一度の式年大祭御船祭が斎行される誠に重要な年であります。鹿島の大神(武甕槌大神)を奉した御神輿が大船津へ進み常陸・鰐川、陸利根川を渡御するその荘厳な祭儀は古来より受け継がれてきた大神様のご神威を今に伝えるものであります。また四月には香取神宮にて式年大祭式年神幸祭が御斎行され、鹿島神宮の奉仕による御迎祭も厳粛に執り行われました。
最後になりますが、本年も奉仕を頂きます惣大行事家鹿島泰明様をはじめ鹿島神宮流鏑馬隊の皆様、森顯会長以下倭式騎馬會の皆様方に深甚なる感謝を申し上げてご挨拶とさせて頂きます。
鹿嶋神宮 宮司 東 俊次郎
鹿島神宮の流鏑馬神事は、養和元年(1181年)三月、源頼朝が鹿島神宮に神馬を奉納し、同年五月五日流鏑馬祭を為し鹿島家家臣をその射手として奉仕せしめたことを起源としています。
源頼朝が鹿島神宮に神馬を奉納し、鹿島三郎政幹を総追捕使に任じます。その後鹿島家がその職を継ぐ、以来流鏑馬神事の射手を勤めると伝わっています。
天正十九年(1591)佐竹義宣に滅ぼされ鹿島家断絶、流鏑馬も一時中絶して、また、徳川の世となり家臣等の嘆願、家康も名家滅亡を嘆き幹連に禄を賜り惣大行事として神官の重職になりました。これより鹿島家再興、散在していた旧家臣等随従し、以来流鏑馬神事の射手を勤めると伝わっています。
近年、諸般の事情により神事のみの継承となっていましたが、倭式騎馬會の協力によって流鏑馬奉納が続けられています。鹿島家及び旧家臣たちの神事奉納と合わせて流鏑馬奉納が続けられています。多数の参拝者が見学に訪れるようになったことは、家臣共々喜んでいます、今後も街の活性化の一助となるよう引き続き奉仕していく所存です。
鹿島家三十五代当主 鹿島 泰明
