武の中核は、騎馬。
武芸十八般、その中核としての騎馬術。
組み合わさる武の所作を、いまに。
武芸十八般 ── 武家の時代に磨かれた日本の武芸の総称において、最も重要とされてきた武芸が騎馬術である。武士たる者の証であり、戦の主役であり、神事の中心でもあった。倭式馬術は、こうした日本古来の馬術(和式馬術)の系譜にあり、騎馬術を中核として、それと組み合わさる弓・槍・太刀・薙刀などの武芸を、馬上で統合的に修練する体系である。鎌倉武者が創造した馬上の所作を、絶滅危惧の和駒とともに復興することが、倭式騎馬會の修練の核にある。
弓馬の道、にあるもの。
倭式馬術は、ひとつの技ではない。
馬を駆ることを中核として、その上で弓を射ること、太刀を振るうこと、槍を構えること、薙刀を扱うこと。これらは、鎌倉武者にとって別々の技ではなかった。すべてが、馬上の所作として、ひとつの体系のなかにあった。
倭式騎馬會では、この統合的な視点に立ち戻り、騎馬と武芸の組合せを修めることを稽古の本筋としている。弓馬術のみを「流鏑馬」と呼ぶ世間の捉え方とは別に、私たちはその背後にある武家の馬上文化を、丸ごと修練の対象とする。
稽古とは、完成のためではない。磨き続けること、それ自体が修練である。馬と、矢と、刃と、ともに在ること。その時間の積み重ねが、奉納の場での一射に結実する。これが、私たちの修練の出発点である。
いま、組み合わせる武。
「武芸十八般」── 室町時代以降に整理された、日本の武芸の総称である。剣・槍・弓・薙刀・柔・棒など、多岐にわたる十八の武芸を意味する。
そのなかで、最も重要とされてきた武芸が騎馬術である。武士たる者の証であり、戦の主役であり、神事の中心。中世武家にとって、騎馬は単なる移動手段ではなく、武の所作のすべてを成立させる前提であった。武芸十八般の多くは、この騎馬術と組み合わさることで、馬上の武芸として完成する。弓を馬上で扱えば「弓馬」、槍を馬上で扱えば「馬上槍」 ── 武家の馬上文化は、騎馬を中核とする多様な組合せから成り立ってきた。
倭式騎馬會では、いま主に、次の組合せを稽古の中心としている。
騎馬と弓の組合せ。馬上から弓矢を射る、流鏑馬の中核を成す技。常歩・速歩・駈歩の各段階で的を射抜く稽古を、地上から馬上へ段階的に積み上げていく。
騎馬と槍の組合せ。中世武家の戦場での主力武器。馬の脚と槍の間合いを身体に覚えさせるまで、稽古を重ねる。
騎馬と太刀の組合せ。馬上で太刀を抜き、振るう。居合の所作と、馬の動きを合わせる難度の高い技。地上での古剣術と並行して修練する。
騎馬と薙刀の組合せ。長尺の刃を馬の歩みに合わせて扱う、繊細な所作。女性会員にも修練者が多い。
倭式馬術の特徴は、騎馬を中核として、それと組み合わさる武芸を、馬上の身体ひとつのなかで連環するものとして修めるところにある。鎌倉武者が体得していた「馬上の人」としての総合力 ── それを、いまに引き継ごうとしている。
稽古の、ある一日。
日によって、稽古の構成は変わる。馬の状態、季節、参加者、その日の目的。けれども、おおまかな一日の流れは、こんなふうに過ぎていく ── あくまで、一例として。
稽古は、武芸の所作だけのものではない。馬とともに過ごす時間そのものが、修練の核にある。型でも時間割でもなく、馬との関係を毎日のように積み直すこと ── それが、倭式馬術の修練の実態である。
射手として、走るまで。
未経験から、奉納の場で射手として走るまで ── ふつう、一年から数年。段階を踏んで進んでいく道筋がある。
まず牧場に来て、馬と空気に触れる。稽古の様子を見ていただき、会の雰囲気を感じてから、入門をご検討いただきます。
常歩・速歩・駈歩。立透かし騎乗法。馬の性格や習慣を学びながら、人と馬の信頼関係を築いていきます。
弓の基本操作を地上稽古で学んだ後、馬上での弓構え、的打ち、そして駈歩での三的射抜きへ。段階的に難度を上げていきます。
奉納の場で、射手として走る。神事に立ち会うことが、修練のひとつの結実であり、また次の出発点でもあります。
