伝えなければ、ふたたび途絶える。
私たちはふたつの「伝えること」を、地道に積み重ねてきた。
流鏑馬は、過去にも一度途絶えている。和種馬も、数を減らしてきた。倭式騎馬會は、その途絶えていた糸をいま一度たぐり寄せ、奉納の現場で行為として復活させ、稽古場で技として磨きなおしてきた。
ただ、それだけでは、ふたたび途絶える。文化は、誰かが見ている、誰かが書き残す、誰かが次に渡す ── そのいずれかが欠ければ、また消える。私たちは奉納と稽古の傍らで、ふたつの「伝えること」をいまも続けている。媒体に、記録を残すこと。次の手に、馬を渡すこと。
復元と、伝承は、別の修練。
途絶えていたものを、もう一度立ち上げる ── これは「復元」の作業である。古文書をひもとき、馬を集め、装束を整え、所作を組み直す。倭式騎馬會が二十二年のあいだに重ねてきたのは、まず、この復元だった。
だが、復元したものをそのまま放置すれば、それはまた一代で途絶える。次の代に渡らなければ、博物館に並べられた所作のように、行為としては死んでしまう。だから、伝承は復元とはまったく別の、もうひとつの修練として、私たちのなかにある。
「外へ届ける」ことと「次に渡す」こと。前者は媒体を通じて広く社会に向かい、後者は教場のなかで一対一の関係として進む。方向は違うが、どちらも欠かせない。
二十二年続けることだけが目的ではない。ここから先、私たちの世代を超えて続いていくために、いま、書き残し、次の手に技を伝えていく。それが、復元の次にある、もうひとつの修練である。
媒体に、残してきたこと。
会の内側で記録を蓄え、会の外側に向けて発信する。私たちは長く続く会報と、各種媒体への露出を通して、流鏑馬と和種馬と倭式馬術の姿を、社会の記憶に残し続けてきた。
倭式騎馬會は、活動開始当初から会報を発行し続けている。奉納行事の記録、稽古の様子、馬たちの近況、研究の進捗 ── そうした日々の事象を文字にして残してきた。商業誌や新聞のように外部の編集眼を介さない、会員自身の手による一次資料である。賛助会員へはこの会報を定期的にお届けしており、会の外側にいる方々とも、文字を通じてつながる場となっている。
会報を会の内側の記録とすれば、外への発信は各種メディアを通じてなされてきた。テレビ・新聞・雑誌・教科書 ── 流鏑馬という伝統文化が広く社会に届くたびに、それは記録に変わり、次の世代の眼にも触れる素地となる。
扉を、開いている。
媒体への発信が「外への伝達」だとすれば、もうひとつの伝承は、教場の内側で進む。次の射手は、いま、まだ私たちの目の前にはいない。これから来る誰かである。だから私たちは、扉を開けたままにしてきた。
倭式騎馬會の稽古は、流派にとらわれない。古来の和式馬術を再興する立場から、複数の流派の伝書と所作を研究し、横断的に学ぶことを許している。武家の血筋や免許は問わない。馬と武の道に向き合いたいという、その一点で扉は開かれる。
一流派を継承する道場ではなく、和式馬術の総体を再興する場としての教場。複数の伝書を研究材料として用い、流派の壁を超えて学ぶことができる。
馬に乗ったことがなくても、武に触れたことがなくても、入門の門は開かれている。最初は木馬で所作を学び、そののち会の保有する稽古馬での実乗へ進む。
二十代から六十代まで、男女を問わず多様な会員が在籍する。女性射手の活躍も会を支える柱のひとつ。年齢でも性別でも、扉が閉じられることはない。
稽古は週末を中心に、埼玉県滑川町の教場で行われる。師範との面談を経て入門が許されたのちは、いつでも何度でも馬に乗ることができる。木馬での所作の習得を経て、最初の稽古から会保有の稽古馬に乗る。射手として独り立ちするまでには年月を要するが、その道のりは、誰にでも開かれている。
私たちは、持てるすべてを渡したい。
あなたが、次の射手となる。
賛助会員として遠くから支えていただく選択肢もあります。
